年始の投稿
もっとブログ書きますって書いてたのに、11月からなかなかハードな日々で、とにかく風邪を引かないということに命がけでした。そしたらあっという間に年があけて、そしたら気が抜けて、風邪。そしてあっという間に毎年恒例となっている、JENカンファレンスへの渡米の時期になり、今わたしは成田空港でこのブログを書いています。
成田空港で書いていますなんて言うとちょっとかっこいいですが、フライトの時間が午前だと思い込み前日に成田まで来てホテルに泊まったわたしは、広島を出る直前にフライトの時間が18:45だということに気が付いたんです。前日入りも、ホテルも必要なかった…。まあでもこの時期だし、天候だとか電車の遅延だとか、いろんな悪い可能性もある中で、慎重に行動したということで。今年はもっと余裕のある人になりたいものです。
新年というと、わたしは毎年100個の目標を書き出していました。100個となると大きなものから小さなものまで、最後は振り絞るように、しょうもないものを羅列していくわけなんですが、年始の崇高な想いも、6月ごろになるとすっかり忘れているわけですよ。そして年末にはその意識高き目標の数々を見返すのも辛くなってしまうのです。つまりわたしは去年はじめの目標を見返してもいません。見返してもいないのなら書いても意味がない。ていうかなんか年始にやる気出すことが疲れた。年始くらいしかやる気が出てなかったのに、これは一体。そうか、アラフォーの波ですか。
だって生まれてはじめて「ものもらい」ができたんですよ。広島弁では「めぼ」ですよ。関西では「めばちこ」ですって。なんでこんなにいろんな名前があるんですかね?「大判焼き」なんかも、広島では「二重焼き」他では「今川焼き」「回転焼き」とかいろいろあるみたいですけど、煩わしいから統一しませんか?っていう意見はそれぞれの土地に郷土愛があるからダメなんでしょうね。わたしはどうでもいいけどね。
そういえば年末にこういうツイートをしたら中くらいにバズりました。
音楽的な実力っていうのは運動能力と同じようなものなので、やはり若いときからやってるほうが強いんです。確かに人生が現れるタイプの音楽ジャンルではあるのだけど、例えば演歌に例えると、10代、あるいは一桁の年齢からずっと修行を続けた演歌歌手がようやく40代くらいになって脚光を浴びるということと同じで、演歌が似合う年齢だからといってその年齢から始めるものではないですよね。積み上げてきたものが年齢と折り合いがついて輝くのではないかと思います。
かといって何事も遅すぎるということはないのですが、アメリカに行って、10代後半のバカテクなジャズミュージシャンを目の当たりにすると、どう逆立ちしたって勝てないと言うことを痛感するわけです。しかしながら、自分にしかできないことがある。それが音楽だし、ジャズというジャンルは本来は懐深いものなので、邁進するのみです。
アメリカの小学校に3年間通った中で、常々いわれていたのが「あなたは特別な存在よ」「自分を褒めてあげて」といういわゆる褒め育ての言葉の数々。ジャズ・ヴォーカルというジャンルはそういう考え方の上に成り立っているものだと思います。音楽的なテクニックは大前提だけど、そこにのっかるものは千差万別。かっこよければそれでいい。正解はない。わたしの好きなジャズはそういうものです。
ではそろそろ、そういう世界にどっぷり漬かりに行って来ま〜す。なるべく、レポしたい。(希望)
成田空港で書いていますなんて言うとちょっとかっこいいですが、フライトの時間が午前だと思い込み前日に成田まで来てホテルに泊まったわたしは、広島を出る直前にフライトの時間が18:45だということに気が付いたんです。前日入りも、ホテルも必要なかった…。まあでもこの時期だし、天候だとか電車の遅延だとか、いろんな悪い可能性もある中で、慎重に行動したということで。今年はもっと余裕のある人になりたいものです。
新年というと、わたしは毎年100個の目標を書き出していました。100個となると大きなものから小さなものまで、最後は振り絞るように、しょうもないものを羅列していくわけなんですが、年始の崇高な想いも、6月ごろになるとすっかり忘れているわけですよ。そして年末にはその意識高き目標の数々を見返すのも辛くなってしまうのです。つまりわたしは去年はじめの目標を見返してもいません。見返してもいないのなら書いても意味がない。ていうかなんか年始にやる気出すことが疲れた。年始くらいしかやる気が出てなかったのに、これは一体。そうか、アラフォーの波ですか。
だって生まれてはじめて「ものもらい」ができたんですよ。広島弁では「めぼ」ですよ。関西では「めばちこ」ですって。なんでこんなにいろんな名前があるんですかね?「大判焼き」なんかも、広島では「二重焼き」他では「今川焼き」「回転焼き」とかいろいろあるみたいですけど、煩わしいから統一しませんか?っていう意見はそれぞれの土地に郷土愛があるからダメなんでしょうね。わたしはどうでもいいけどね。
そういえば年末にこういうツイートをしたら中くらいにバズりました。
「ジャズの似合う年齢」っていうイメージは日本独特だと思う。全然若い時から歌っていいし、スイング感とか英語発音とか、アンサンブルの瞬発力、判断力は年取ってからじゃ身に付けるのなかなか大変だと思うんだけどな。 https://t.co/ZMc2Xz01gH— 川本睦子 𝙈𝙪𝙩𝙨𝙪𝙠𝙤 𝙆𝙖𝙬𝙖𝙢𝙤𝙩𝙤 (@muzco) 2018年12月24日
音楽的な実力っていうのは運動能力と同じようなものなので、やはり若いときからやってるほうが強いんです。確かに人生が現れるタイプの音楽ジャンルではあるのだけど、例えば演歌に例えると、10代、あるいは一桁の年齢からずっと修行を続けた演歌歌手がようやく40代くらいになって脚光を浴びるということと同じで、演歌が似合う年齢だからといってその年齢から始めるものではないですよね。積み上げてきたものが年齢と折り合いがついて輝くのではないかと思います。
かといって何事も遅すぎるということはないのですが、アメリカに行って、10代後半のバカテクなジャズミュージシャンを目の当たりにすると、どう逆立ちしたって勝てないと言うことを痛感するわけです。しかしながら、自分にしかできないことがある。それが音楽だし、ジャズというジャンルは本来は懐深いものなので、邁進するのみです。
アメリカの小学校に3年間通った中で、常々いわれていたのが「あなたは特別な存在よ」「自分を褒めてあげて」といういわゆる褒め育ての言葉の数々。ジャズ・ヴォーカルというジャンルはそういう考え方の上に成り立っているものだと思います。音楽的なテクニックは大前提だけど、そこにのっかるものは千差万別。かっこよければそれでいい。正解はない。わたしの好きなジャズはそういうものです。
ではそろそろ、そういう世界にどっぷり漬かりに行って来ま〜す。なるべく、レポしたい。(希望)